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風間靖幸

更新日:2022年5月26日


Japanese Street Car Culture カスタム チューニング 自動車 車 最速チャレンジ

風間 靖幸(かざま やすゆき)

1970年2月1日

長野県出身

元D1ドライバー

O型。


生年月日 1970年2月1日

マシン S14シルビア→S15シルビア

所属チーム 圭オフィス→DG-5→m.o.v.e

初参戦 2001年 第1戦

最高位 シリーズチャンピオン1回(2005年)

優勝7回


ドリフトテクニックやパフォーマンスなどの多彩なテクニックを持つ選手として活躍し、「ロデオ乗り」などの曲乗りをすることから通称「ワクワクさん」と呼ばれていた。D1黎明期から活躍し、2006年いっぱいで参戦を取りやめたが、人気はその後も衰えることなくある種カルト的なものとなっている。


土屋圭市が立ち上げた自動車パーツ会社圭オフィスの元社員で、D1開催以前からいかす走り屋チーム天国を始めとするドリフト大会などで有名になり、土屋も「ドリフトが上手だから圭オフィスの社員にしたぐらいだ」と話している。


インタビューやブログなどで妻に対するコメントも多く、愛妻家としても知られる。 2005年8月31日に圭オフィスを退社。現在は自身のショップ、RODEXTYLE(ロデックスタイル)にて中古車販売等をこなしながら活動中。2007年度以降のD1グランプリには参戦をしていない。


D1グランプリ


D1グランプリには初年度の2001年シーズンから日産・シルビアで参戦。当初はなかなか上位に進出できず、シード入りが高い壁となっていた。 2003年も序盤戦は追走トーナメントに進出するものの入賞を逃し、ランキング20位台と低迷する中、第4戦の富士が転機となった。このラウンドでから圭オフィスが投入したニューマシンのシルビアによりスピードのあるドリフトに磨きがかかり、一気にトップコンテンダーへの道を進むことになる。まず富士でシーズン初ポイントを記録すると、続く第5戦のエビスで2位表彰台に上がり、シード入りを果たし、シーズン最終戦までシードを確保した。


2004年開幕戦アメリカ・アーウィンデールスピードウェイで初優勝を遂げた。続く第2戦菅生でも優勝し2004年シーズンのトップを独走するかに見えたが、第3戦エビスでエンジントラブルにより失速。第6戦の追走1回戦敗退によりシリーズチャンピオンの権利を失い、2004年は4位で終わった。


2005年開幕戦アメリカ・アーウィンデールスピードウェイでは前年と同じく優勝。第2戦お台場でも3位入賞し、第3戦SUGOで二度目の優勝、さらに第5戦エビスでシリーズ三勝目をとげ、シリーズランキング首位をキープ。そして最終戦の筑波ではランキング2位の末永正雄と準々決勝で直接対決となり風間が先行の二本目、ヘアピンでシフトが入らなくなり失速した風間に末永が突っ込む。風間はベスト8で敗れた。しかし準決勝に進出した末永の車は風間との接触により出走できる状況になく、準決勝で棄権。わずか1ポイントの差でシリーズタイトルを獲得した。


2006年はエントラントが圭オフィスからDG-5に変更となったが、開幕戦のアメリカ・アーウィンデールスピードウェイで優勝。D1初の開幕戦3連勝を遂げた。 2006年第2戦からはavexがスポンサーに付き、エアロとボディーカラーをそれまでの緑から青へ変更。チューニングパーツメーカーがバックにつき、豊富な資金で次々と高額パーツを導入する他のトップドライバーに比べると決して良いとは言えない参戦環境のなかでシリーズ3位を獲得。どんなコースでも常に安定した好成績を誇り、シリーズ終盤にはライバルの野村謙や熊久保信重からも評価されていたが、2007年度のD1グランプリは参戦を休止することが表明された[1]。2006年に使用したマシンはその後植尾勝浩や今村陽一が愛機として用いた。


エピソード


2001年のD1最終戦翌日、ビデオオプションの企画として行われた「D1団体戦」の時にスピンしてパドックに突入し、近くに止めてあった丸山透選手のベンツに接触してしまった。これが由来となって「スピンベンツドカン」と一時期呼ばれていた。


2005年にはBBCの自動車番組トップ・ギア(Series 6 Episode 11)に「トップクラスのドリフターでD1レースドライバーのMr.カザーマー」として出演。三木竜二や今村陽一らとドリフトのデモンストレーションや、得意のロデオ乗りを披露した他、リチャード・ハモンドが運転するボクスホール・モナーロVXRに同乗してのドリフト指南と、自身による比較走行をした。モナーロVXRを運転した感想は「グッド・カー」


2005年最終戦の筑波で末永正雄の準決勝敗退のキッカケを作ってしまった風間はすぐに末永とRE雨宮の代表雨宮勇美に謝りに行ったものの代表・雨宮は怒りおさまらず風間にとっては後味の悪いチャンピオン獲得となった。


2005年 ブリヂストンのCMにF1のフェラーリやSUPER GTの車両と一緒に登場し、今村陽一との追走走行を全国に披露していた。


ドリフトテクニックもさることながら、その人柄の良さからD-DOGシリーズやD to Dなどで講師役を買って出ることが多い。しかし説明が一般受けではない上に擬音語を多用する癖がある。


アーウィンデールスピードウェイを得意とし、4戦すべて決勝に進出し3勝を上げている。

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